広島ブログ

オープンゲイなHaruの日常

広島でなんとなーくゆるくのほほんと暮らしてる、オープンなゲイの日常です。

僕的マイノリティ界隈に関する考え

ブログタイトルのとおり、僕はゲイです。
体は男、心も男。好きになるのが男。
男性同性愛者です。性的少数者です。


最近では、セクシャルマイノリティ(以下セクマイ)とか、
LGBTなんて言葉で表現される、少数者ということになってます。


まぁクラスに1人くらいの割合らしいので、少数者なんでしょう。
この辺り、日本では男色の文化が記録上10世紀後半から、脈々と続き、
徳川の時代に町人にまで浸透する最盛期を迎えているので、
同性愛(男性同士)嗜好に限って言えば、実はマイノリティじゃないんじゃないか?
と思っていたりしますが、それはまた気が向いたら歴史的なことを書くことにします。


最近では、メディアで「LGBTの人権」などという言葉が踊っているのを目にします。
昨年暮れにも、何人かの市議会議員が、
「同性愛者は異常動物だ」等の発言をし、大炎上していました。
この炎上の仕方や、セクマイ当事者・支援者のあり方に僕は疑問があります。


先の市議会議員の発言に関して言えば、
「正常でも、異常でもどっちでもいいや。楽しいから!」
と僕は思っています。
おねぇキャラを売り物にしている某有名タレントさんは、
自分のブログで問題発言を取り上げ、
「今、ブログを書きながら涙が滲んでいます」
なんてなことをおっしゃってますが・・・


ゲイであることをオープンにしていることを話すと、
当事者や支援者からこんな質問をされることがあります。
「オープンだと仕事で困ることもあるでしょう?」
「差別や偏見の目で見られて辛い思いもするでしょう?」


僕はこう答えます。
「え?仕事?特に困ってないですよ。僕、仕事できるんで」
「え?差別?いや、僕の周り、良い奴ばっかですから」
正直なところ、ゲイ、ホモであることで悩んだことや、困ったことがありません。
それに、ゲイであることを理由に僕の人間性を判断する人もいません。
(気づかないところでいたとしても関わってないし、関わりたくもありません。)


そして、それを聞いた人たちは最後に、
「恵まれた環境にいるんですね」
と言います。


たしかにそうです。
僕は心優しい、懐の深い、情に厚い素敵な人たちに囲まれています。
感謝しています。有難いことだと思っています。


でも。でも!!!!!
これだけは言いたい。
その環境を作ったのは誰?僕です。
僕が素敵な人と一緒にいたい、と、カミングアウトしてから、
10年以上かけて作ってきた環境です。


ただただ、僕と気が合った人が友達になってくれる。
ただただ、僕の仕事の能力を評価してくれる人が応援してくれる。
ただただ、僕という人間がどうか?ということなんです。
もはや、ゲイかノンケ(異性愛者)かは何も関係ない!って話です。


異性愛者となにも差はないわけです。
僕が人間的に品性乏しく、無知無能、
一緒にいるとマイナスを呼ぶ人間であれば、人は僕を避けるでしょう。
僕もそういう人は、同性愛者であれ異性愛者であれ、避けます。
ただそれだけのことだと思っています。


それが現実だし、それが社会なはずなのに。
セクシャルマイノリティであることに胡座をかいてる人が多すぎます。
まるで悲劇のヒロインです。
「セクマイだから」自分は差別される存在なのだ。
「セクマイだから」人に理解されない。
「セクマイだから」幸せになれない。
だから「セクマイ」のことは社会が理解しなければいけない。
「セクマイ」を認めない人間は、ひどい人間だ。
なんて暴力的な考えなんでしょうか・・・


セクマイを許容するもしないも、
価値観の広さ、視野の広さ、理解力の問題です。
もっと言えば、好き嫌いレベルの話です。
理解する人もいていいし、理解しない人もいていいじゃないですか。


僕たち当事者は、理解しない人のことを理解できるよう、
僕たちの方から心を開いて、対話のチャンスを探る努力をすべきであって、
アンチ同性愛、アンチセクマイの人たちを吊るし上げるべきではありません。


トランスジェンダー性同一性障害)の人たちは、明らかに大変だと思います。
さまざまな障害をもっている障害者の人たちも大変だと思います。
そこに必要なのは、区別です。
差別はいけないけど、区別は必要です。


区別されるということは、特別扱いされることです。
ちなみにゲイの場合、
例えば会社の飲み会の後に風俗に誘うのをやめてもらうとか。
結婚に関しての圧力を加えないでもらうとか。


さて、当事者たちは特別扱いされるための努力をしてますかね?
特別扱いが特別ではなく、当たり前、普通になるように、人間磨きしてますかね?
マイノリティであることの不遇を主張することも必要ですが、
それ以上に、1人の人間として、敬いをいただけるよう、
自分を成長させ、自分を輝かせる努力のほうが大切だと思います。


そういう努力をしないで、差別だ!偏見だ!と騒ぎ立てる人たち。
マイノリティに乗っかって、自分だけの正義感を振りかざす人たち。
そういう人を僕は軽蔑しますし、少なくとも友達にはなりたくありません。


セクマイもノンケも関係なく、
自分(僕ではなく、その人自身)のことを好きな人が好きです。
自己肯定感(妥当な)の強い人に僕は惹かれます。
そういう人は正直だし、媚びない強さがあるから。


僕もそういう人間でありたいなと思います。