広島ブログ

オープンゲイなHaruの日常

広島でなんとなーくゆるくのほほんと暮らしてる、オープンなゲイの日常です。

大学生に告ぐ Vol.3. 読書のススメ

昨今、若者の「読書離れ」ということが、
よく言われるようになっています。


例に漏れず、僕もそこまで本を読まないのだけど。(若者ではない汗


子どもの頃から、今に至るまで、
「本を読みなさい」というメッセージは常に受け取るわけです。
本を読むことにどんな価値が有るのか?

僕の場合、という極めて個人的な読書の意味付けを紹介します。

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日常の生活や、行動。
他者の言動、世の中の出来事。
自分の思考を誘発するものはたくさんあります。


何かの経験の結果、頭を使う。
その事象が何故起こっているのか?
その事象のバックグラウンドは何か?
その事象から学ぶことは何か?
そういった思考を経て、自分なりの思想、ものの見方が出来上がります。


しかし、自分の頭の中で、一定の妥当性を持ち、
直感的に真であると思えることができても、
僕はそれを言葉にして表現するまでに大変時間がかかります。
端的に、表現力やボキャブラリーが少ないのです。


そこで、僕は専門書やそのジャンルの本を手に取ります。

そこには、自分が感じていること、考えていることを、
言語表現することに長けた人が、文章として形にしてくれているのです。


「あ。なるほど。僕の考えはこのように表現されるべきなのか。」
「はぁ〜。あれはこんな風にも表現できるのか。」
「ものはいいようだなぁ。同じコトでも真逆の意味にもなるのね。」
そんな感想が頭をよぎります。
僕の中に表現するための言葉が流れこむわけです。


そして、自分の考えていること、感じていることが、
本に書かれているという事実。
これが自分の考えの妥当性や信頼性を測る一つにもなるわけです。
同じようなことを考えている人が他にもいて、
そしてその考えは、少なくとも書籍として、
世の中に発信される程度には何か意味があるのだと。


さらに、自分の考えを補完してくれることまで書いてあるわけです。
そうやって、自分一人でも様々な見方、考え方をしながら、
何がしかの結論とその表現を作っていくことができる。


他人の持っている知識・思考を得ることができるのはもちろんのこと。
自分の考えをより強固に、より客観的妥当性を持ったものにすることもできる。


そういう本の読み方もできますよー、というお話。
※思考の剽窃をすすめるものではありません。
※個人の感想であり、読書の効果効能を保証するものではありません。