広島ブログ

オープンゲイなHaruの日常

広島でなんとなーくゆるくのほほんと暮らしてる、オープンなゲイの日常です。

男性同性愛の歴史探訪vol.1. 日本ではバイが当たり前だったのだ。

昨日まで、福岡から彼氏くんがお泊り旅行に来てくれていたのです(*´ -`)(´- `*)
お二人様鍋会に始まり、翌日宮島に初詣。
土曜には森人イベントに一緒に参加。
その後二人でBARに行って。


二人分の朝ごはんを準備して、二人で並んで食べる。
これってすっごい幸せですねヾ( 〃∇〃)ツ
僕の仲間にもすぐ馴染んでくれて、みんなで一緒にお話したり、
イベントの参加者さんの子どもさんと、
きゃっきゃ楽しんでる彼氏くんの姿が見れたり。


ものすっごい楽しかったです!



さて。ついに始めます。
日本の男性同性愛の歴史を紐解くお話。

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↑男色茶屋(江戸時代の男性売春宿)のとある風景


現在、どこぞの区議会議員さんやら、おねぇタレントさんやら、
セクシャルマイノリティ支援団体の皆さんやらが、
声高に、「差別廃止を!」とか「差別禁止法を!」とか。
なんか物騒な主張を各種メディアで繰り広げていますが、
僕は基本的に、オープンなゲイ生活をしている当事者として、
ああいった主張や活動には関心がありません。
そういう活動家(LGBTアクティビストとかいうそうです)と、
同じくくりにされるのには、迷惑感すら覚えます。


そもそも、日本社会・文化は、男性同性愛と共に、常にありました。
それが明治維新をきっかけに、西洋の文化・価値観を取り入れていく過程で、
プロテスタンティズムの影響を色濃く受けた結果、
現在のように、あたかも同性愛は異常?的な空気が蔓延していったに過ぎません。
「同性愛行為は変なこと」と見られるようになったのは、
長ぁ〜い日本の歴史の中で、ここ150年程度のことです。


そう。日本は元来、セクシャルマイノリティフレンドリーな国でした。
あ。違うわ。男のほとんどが両性愛者の国でした。
となると、異性愛者の男性の方がマイノリティだったわけですよ。


それは今も変わらず、
ゲイであるだけで殺されるかもしれないアメリカとは違い、
僕や彼氏がゲイであることを人に伝えたときに、
身の危険を感じることなんて、今まで一度もなかったし、これからもそうでしょう。


ここまで読んでくれている、ゲイorバイの男子中高生のみんな!
すっげー普通に受け入れられるから、大丈夫だよ^^
むしろ男の子が好きなことが強みになることすらあるからね!


男性同性愛は江戸時代に全盛期を迎えます。
18世紀中頃の江戸には、男色茶屋が少なくとも14の街に存在しており、
600以上の男性同性愛に関する文献があり、
徳川将軍のうち少なくとも7人は男性同性愛者であったことが文献に残されています。
(3大将軍 徳川家光がゲイだったせいで大奥ができたのは有名ですね。)
このことはつまり、武士などの特権階級のみならず、
町人、商人などの庶民にまで、男性同性愛文化が深く根付いていたことの現れです。


たいていの都市の男性が、男性と性的関係をもっていたのは、
標準的なことだったと言われています。


知識階層にはしっかりと容認されており、
さらに、大衆美術や文学では積極的に褒め称えられていました。
同性愛行為は、武家・寺院・歌舞伎小屋・男色茶屋・庶民生活、
あらゆる場所で一般的なこととして行われていたのです。


というわけで。
これから気が向いたときに、歴史をさかのぼって、
どの時代、どんな風に、日本の男性が同性愛行為にふけっていたのか、
いやこれはなんだ?語弊があるというか、いやらしいというか(笑)
いやいや。もともと人は性的な存在なわけだから当たり前か。
その辺りを紐解いていこうと思います。


次回は、古代日本の書物で初めて男性同性愛が記録されている、
西暦985年から、男性同性愛の歴史を紹介しますm(_ _)m

参考文献:男色の日本史 なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか
     著者 ケイリー・P・リューブ 訳:藤田真利子
     作品社 2014年発行