広島ブログ

オープンゲイなHaruの日常

広島でなんとなーくゆるくのほほんと暮らしてる、オープンなゲイの日常です。

歩くカミングアウト 前編

※お断り※
今回の記事は、セクシャル・マイノリティであることで、
悩んでいる人に読んでほしい記事ですが、
セクマイの人権が〜、とか、人類は平等で〜、とか、
そういった観点をお持ちの方、
また、メンタルが弱い方、今現在、病んでいる方には、
刺激が強いおそれがあります。
ご批判・ご賛同のご意見は受け付けますし、お相手しますが、
その他一切の責任は負いません。

(追記)小中高生は、まだこういう考えがなくても大丈夫です。
君たちが18歳になって実家を出るとき、思い起こしてください。

ご理解のうえ、読み進めてください。


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NPO法人の視察見学ツアー中のある場面。1月23日 土曜日@大阪


僕「ちょっと隣の研修を拝見させていただいてもよろしいですか?」
Bさん「ええ、結構ですよ。ただ女性しかいないんであれですが。」
僕「あー、大丈夫です!僕ゲイなんで!(きりっ」
一同「あはははは(笑)」


その後の串カツ屋での会話
ゆーた「はるさん、今日のカミングアウト、もうちょっと
    ゆっくりタイミングはかって言えば、伝わって面白かったのに」
僕「あら?聞き取れなかったかな?ミスったわ」
一同「あはははは(笑)」


歩くカミングアウト
「カミングアウトが服着て歩いてる」
「息を吐くようにカミングアウトする」
そんなふうに言われています。
どうも。はるです。


セクシャルマイノリティの世界にいると、
自分が、ホモなり、レズンビアンなり、
バイセクシャルなり、トランスジェンダーなり。
パンセクなりアセクなり。なんでもいいけど。
周囲の人に、そうであると伝える問題に関して、
様々な意見に触れます。


カミングアウトするなんて、とんでもない!
絶対そんなことしちゃだめだ!
と、ご年配のゲイの方にお叱りを受けた、、いや。
ご意見をちょうだいしたことがあります。

親にカミングアウトして、
まるで病気のように扱われ傷ついた。
そんな経験を持っているレズビアンの人の話を、
聞いたことがあります。

友達にカミングアウトしたら、
どんなふうに思われるか心配だ。
そんな悩みをもつバイの友達がいます。


こっちの世界では、
自分がゲイであることが周囲にバレることに、
それなりの抵抗や恐怖があります。僕はなかったんだけど。

確かに、嫌な思いをしなきゃいけない場面はあると思います。
でも、なんか最近おかしいですよ(〟-_・)

セクマイ本人も、その支援者も、
いったい、いつの時代の、どこの話をしてるの?
と、個人的には思ってます。

今の日本で同性愛者を中心に、セクマイを差別し、
糾弾し、さらには、社会的な制裁を加えようとする人間がいたら、
それは時代錯誤の可哀想な人。
たぶん、人間として生まれてきた回数、2回目くらいの初心者さんです。
初心者の方、わかりにくいんで、初心者マークを付けて生活すると、
周囲の人が急に優しくなる、または厳しくなりますよ。


大方の人は、嫌悪感を持っていません。
かと言って、僕たちに必要以上の興味も持っていません。
「へぇー、そうなんだ」程度の反応がほとんどです。
※個人の体感の結果であり、完全にそうだとは限りません。


僕にとっては、カミングアウトはただの自己紹介です。
必要な時、必要な相手にゲイだと伝えています。

例えばノンケbarのカウンター。
初対面のSさん「年末のテレビも面白くないよねー」
僕「そうだね。あ!でもジャニーズカウントダウンが復活するから見なきゃ!」
Sさん「? ??? へー、そうなんだー。?(男の人がジャニーズ???」
僕「(あ。混乱させてるわ)あ、僕ゲイで、ニノくん好きだから^^」
Sさん「あ、そうなのね。なるほど」

例えば、初対面のお仕事相手。
Kさん「はるさん、この名刺のセクシャリティ講師ってなんですか?」
僕「あ。僕ゲイなんですよ。それでたまに講演とかしてるんで」
Kさん「そうなんですかぁ。いいですね、なんかこの肩書^^」
僕「そうですか?初めて言われたなぁ(笑)」

これは、相手に知らせる必要があるからです。

それから、プライベートな友達を作るときは、
「はるです!ゲイです!よろしくね^^」
と、必ず名乗るようにしています。

これは、僕が性格的に、
自分の好きなこと、好きな人の話をするのが好きだからです。
ノンケの友達とも、イケメンについて語り合いたいんです。
キャッキャはしゃぎながら、神木くんの話とかしたいんです。
そのためには、ゲイだと言っちゃうほうが楽なわけです。

また、面倒なことを避けるための場合もあります。
上司「お前、いくつになるんだっけ?」
僕「32っすねぇ」
上司「そろそろ結婚しといたほうがいいぞ」
僕「あ。僕ゲイだから無理っすねぇ」


そんな感じです。
僕にとっては必要なことなので、表明しているにすぎません。
ものすごく、自己主張したい!とかそういうわけでもないんです。
いや、大丈夫です。自己主張強い方ではあるという自覚はしてます。
ほっといてください(・3・)プー

後編に続く…
haruslife.hateblo.jp

ゲイと酢豚。

酢豚って、パイナップルが入ってないのと、
パイナップルが入ってるのとあるじゃないですか?

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どっちが好きか?
それは酢豚が日本に入ってきた頃から、
常に論争の対象となってきたじゃないですか?

僕のこれまでの経験上の感覚で言うと、
どうもパイナップル入りは許せない派が多いみたいですよ。

僕もそうですね。
パイナップルよ。君は白いご飯のお供にはなれない…

同じ理由で、おせちに毎年居座り続ける黒豆、お前もだ。
なにツヤツヤして、存在感アピールしてんだ。
こっち見んな
豆を甘く煮た物全般、食卓から去れ。

白いご飯のお供はできない。
デザートとしても中途半端。
甘く煮られた豆たちの存在理由がわからない。

好き嫌いはないほうだけど、
白いご飯のお供ができないおかずたちよ、去れ。


でも、そこの問題を理由に、
パイナップルを許せない派 VS 許せる派
の戦いはないですよね。
お互い、存在を認めるには至ってなくても、
共存共栄しています。
平和ですね。


でも、許せない派は、許せる派の感覚がわからない。
甘いパイナップル、酢豚に入ってんじゃねーよ!
果物のくせしてなに温かくなってんだよ?!
そして、それを喜んで食ってる許せる派、なんなんだよ?!


同様に、許せる派は、許せない派がなぜそこまで強硬に、
パイナップルの存在を酢豚の中に認めないのか?
わからない。

だって許せない派の多数は、
普通にパイナップルを食べることは好き。

ハワイなんかにいったりした時なんて、
ハンバーガーにパイナップルを焼いた奴が入ってるのを、
「あー、意外と美味しいねー」なんて、食べちゃったりして。

でも、日本に帰ってきて、酢豚にパイナップルが入ってたら、
「うわー、マジでないわ。酢豚にパイナップルはないわ。」
とか言ったりして箸でよけたりして。

許せる派は、許せない派のそんなところがわからない。


わからないけど、まぁいっか。
人それぞれだからね。で済んでる。


僕がゲイなのは、だいたいこれと同じ程度のこと。
僕の友達も、だいたいこの程度のこととして僕と接してる。


僕には、ノンケ男子が女の子を好きになるのがわからない。
なんで?どこがいいの?男のほうがいいじゃん!


僕のノンケの友達は、僕が男を好きなのがわからない。
なんで?女の子のほうがいいじゃん!


なんで女の子を好きになるの?
なんで男の子を好きになるの?

その質問に答えられる人っているのかな?


僕は答えられないや。
よくわかんないけど、気がついたらそうだった。
ついでに図々しくも、世の中の男はみんな、
男を好きになるのが当たり前だと思ってた。高校生まで。


酢豚にパイナップルが入っていることなんて、
まさかあるわけがないと思い込んでいた時期がありました…


ゲイかノンケか。
それは酢豚のパイナップル問題とだいたい同じくらいの問題。


えーっと。


問5【この文章を3行で要約せよ】


ゲイであること、ノンケであることは、
どっちでもいいし、どうでもいい。
ってかこの記事、マジでどうでもよくない?


今日・明日、大阪・奈良に、
僕達のやりたいことを先行してやっている、
NPO法人さんを視察に行ってきます。


あ。酢豚にパイナップルを入れる効果は3つ。
1.タンパク質消化酵素が豊富なので、
  肉を消化しやすくなる。
2.プロメラインの働きにより、肉が柔らかくなる。
3,酢の酸味を和らげ、いい感じになる。
※注意※
プロメラインは60℃以上で失活するので、
調理の最後に入れる or 下味つける時に使うこと。

セミナー・ワークショップ・講演に関するお金について。

先ほど、仕事に対する姿勢を表明し、本来ならば、営業をすべき段階ですが。
その前に、お金に関するルールも表明しておきます。


僕がお仕事をさせていただくのは、「貴重なお金をいただく」ことが前提です。
フリーランスで働くことを決めた時、真っ先にルールにしたのは、
「自分の専門性に関わる話は、すべてお金をもらうことにする」でした。


あと1週間、1月31日までは、専門性が必要なお話でも、
無償で相談を聞きますし、アドバイスさせていただきます。


専門性が必要なお仕事に関して、値引きや特別価格などのご相談は受けません。
といっても、今のところ駆け出しなので、
3時間以内、講演・セミナー・ワークショップ・その後の個別相談含む、
という枠組みで、


・社会人5〜6千円(交通宿泊費別途要)
・学生 3千円(上に同じく)


でお仕事をさせていただく予定です。
(あくまで予定です。取り扱う内容によって、変動する可能性はあります。)
(講演依頼に関しては、上記を基本としながらも、
個別状況に合わせてご相談させていただきます。)

あ。高い!と思った学生諸君。ちょっと想像してみてよ。
7年間。僕が独立しようと決断できるまで、7年間かけて、
専門性を磨いてきた仕事です。
32年間。32年間、人と関わることで、培ってきた能力を、
あなたが必要な部分だけ、切って貼って、
端的に明確に、よく知りもしない、あなたに差し上げるお仕事です。


コンビニとか牛丼屋とかハンバーガー屋とか。
レジ打ちとか、品出しとか。マニュアル通りの接客とか。
そういうお仕事じゃないんですよ。


それを時給1,000円でこっちはやると言ってんだ!
人生の切り売りを時給1,000円だぞ!
安いだろ!
ちょっと待って。
自分で思い返しても、ちょっと安すぎるだろ…
僕の7年間が… 僕の32年間が… 人生が…1,000円…
…(;-; )( ;-;)(;-; )( ;-;)… …(゚‐゚*)…

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我を取り戻しました。
なぜ、値引き、特別価格のご相談をお受けできないのか?
それはこういうことです。


僕の仕事は、何か形のあるものではありません。
マインドの変化や、スキルアップという、形にはならないものを提供します。


例えば、鰻屋さんが、大人数でのうな重の注文を受けた際の例

パターン①
幹事さん「30人でうな重を予約したいんだけど」
鰻屋さん「うな重竹 4,000円。合計120,000円でいかがでしょうか?」
幹事さん「ちょっと高いなぁ…もうちょっとなんとかならない?」
鰻屋さん「では、梅にしましょう。お一人様2,500円、合計75,000円でどうですか?」
幹事さん「うん、いいよ!それでお願い!」
鰻屋さん「ありがとうございます!」


パターン②
幹事さん「竹が4,000円、梅が2,500円かぁ… 何が違うの?」
鰻屋さん「松、竹は国産うなぎですが、梅は中国産なんですよ。」
幹事さん「なるほどね!じゃあ国産がいいから、竹にするわ!」
鰻屋さん「ありがとうございます!」


物を扱う商売であれば、上記のように、
お客様に合わせて、複数の価格パターンを提示できるので、
高いな、と言われれば、安いものを提案できます。
その場合、安いのには理由があって、
高いものは高いものなりに良く、
安いものは安いものなりの価値しかないでしょう。


しかし、セミナー・講演会・ワークショップの場合はどうでしょうか?


例:ワークショップのご依頼の際に…
依頼者さん「20名前後のプレゼンテーションに関するワークショップをやってよ」
僕「はい!一回で習得できるものではないので、複数回の受講が望ましいですが。
  とりあえず、1回やってみましょう!
  まずはプレゼンの基本ルール3つを学び、その場で身につけてもらいます。
  3時間、参加者1名様あたり6,000円です!」
依頼者さん「6,000円?ちょっと高いなぁ… 半額でできない?」
僕「半額ですか?んー…
  じゃあ、1.5時間、3,000円で行きましょう!」


数日後、ワークショップ開催
僕「えーっと、プレゼンには3つのルールがあって、ひとつ目は〜〜〜
  はい!2つめのルールの途中、まだ解説もさっぱりできてませんが、
  時間になったので終わりにします!続きは次回のワークショップで!」
参加者「え〜〜〜(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」オオオオオッッッ」


こうなるのが目に見えてます(・・;)


こんなヤクザな商売、僕にはできません…
講演にしてもワークショップにしても。
価格が半分になるのなら、全部半分にしないと公平性が保てなくなります。
だから、大切な部分も半分。肝心な話ができるのは2回目?3回目?いつ?
ほんとは体験して、できるようになるまでやるんだけど、半分だから説明するだけ。
ほんとはここまで説明しないといけないけど、半分だから、その説明は無し。
いつもなら個別の質問に6人答えるけど、半分だから3人まで。


なにこれ?もう詐欺じゃん(〃゚д゚;A


そういうことです。
妥協できないし、手を抜けない商品です。
物や形はないけれど、その時間・空間が商品です。
途中まで組み立てた機械を売ることができないのと同じで、
中途半端に話をして、肝心要は黙っとくような講演・ワークショップはできません。
そんな詐欺まがいなお仕事、させていただくわけにはいきません。
(させてもらったら、楽だし、何回も受けてもらえるから儲かるんだろうけど)
(無料のセミナーって、そういうことだから、大したことないのが多いんですよ。
 ただで大事な話をするわけがないもの。)


というわけで、ご依頼大歓迎ですが、
値引き交渉はご勘弁ください…悪人になれないみたいです、僕…


僕が無料で何かお仕事をさせていただく場合は、
1.依頼者さんたちが、明日食うこともかなわないような状況にありながら、
  僕がお仕事させていただくことで、その人達の食べ物が手に入る変化が訪れる状況で、
  僕の慈悲の心が震えた場合。

2.主催者さんにお金を払っていただく場合。

3.僕の営業・売り込みとして体験していただく場合
の3パターンです。


2月1日から、
プロとしての3つのルールと、
このお金に関するルールだけは守って、
一つ一つ、真摯に、ご依頼いただけるお仕事をさせていただきます。
今後、これまで以上にお世話になります。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m

あ!参考に良い記事見つけました。
http://d.hatena.ne.jp/goto-ahiru/20130207/1360241556

フリーランサーとしてのルール決めました。

さて。サラリーマン生活も残すところあと1週間です。
とうとうここまできたかぁ…なんて感慨にふける余裕はなく。
休日は次の仕事の打ち合わせや、視察旅行などに追われてバタバタです。
正直めっちゃ疲れが溜まってきましたが、楽しすぎるから仕方がない(*゚▽゚)ノ


来月から、僕はフリーランサーとして働いていきます。
今後の僕はこんな事をやります。4本脚のフリーランサーです。
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その中で、プレゼンテーションやコミュニケーション、
キャリアプランニング、チームビルディング系の講師業、
ゲイとしての講演業、個別相談受付が、
僕の中では本業としての位置づけです。
そのお仕事に関しては、プロとして生きることに決めました。


プロフェッショナルの仕事っていうのを、僕なりに定義しました。
自分のこれからの仕事に対するルールです。


僕的プロフェッショナルとは?
1.仕事に関しては妥協しない。
  

  1時間のセミナーでも、2日間のワークショップでも。
  相手が社会人でも、大学生でも、小学生でも。
  けして手を抜くことはしません。

2.依頼者の期待を上回るパフォーマンスを提供する。
  

  大抵のセミナー、講演会は、ただ講演者の話を聴くだけです。
  確かに、話を聴くこと自体に価値はあります。
  しかし、なんとなく時間が過ぎてしまう…
  「芸は見て盗め」の世界です。

  ワークショップも良い物は少なくて。
  多いパターンが、みんなで考えてみよう系。
  ワールド・カフェ的な付箋ペタペタワーク。
  確かに、日頃考えないことを、
  日頃会わない人と考えることに価値はあります。
  しかし、成果も行動の変化も特に無し。
  結局、自分のいる環境に戻った時、それを活かすことはできない…


  どちらの場合も、講演者・講師に理論がない。
  理論がないから、「なんとなく」良い話を聞いた気がする。
  良い経験をした気がする。
  そこ止まりなセミナーやワークショップが多いんです。


  僕はそういう胡散臭いことはしない。
  聴いてくれる人が悩みを抱えているのなら、問題を抱えているのなら、
  そこを丁寧にヒアリングし、解決できる話をするようにします。
  受講者が身に付けたい力があるなら、
  ワークショップが終わった時には、
  少なくとも1つはできるようになって帰ってもらいます。

3.僕がやりたいことではなく、依頼者がやってほしいことをする。
  

  上記2.に通じることですが、講演依頼もワークショップ依頼も、
  それでいただくお仕事の場は、僕の自己表現活動の場ではありません。
  聴き手が、受講者さんが、何か変化するための場です。
  共感し、次の新しい行動に向け、一歩踏み出すための場です。


  だから、依頼を受けたら、丁寧にヒアリングから始めます。
  これまでどおり。
  参加者の年齢、どんなカテゴリーなのか、
  現状、問題、今後の目的地...etc
  

  お仕事のステージは、僕の自己表現ではなく、
  僕の前にいる人に自己表現してもらう場です。
  だから、依頼者さんのやってほしいこと、それに忠実に話を作ります。


……c(゚^ ゚ ;)
…大風呂敷を広げちゃったぞ( ̄Д ̄;;
頑張るかっ●~*°゜°。。ヾ(≧∇≦o) エイッ!!

SNS疲れって、使い方の勘違いが原因でしょ。

突然思ったのですよ。
Facebookのアカウントを持ちながら、
さっぱり利用してない人の多いこと多いこと。
俗にいうSNS疲れってやつですかね?

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3年くらい前ですかね?
スマホが爆発的に普及を始めたついでに、
Facebookユーザーもいきなり増えたんです。
僕の周りで。


大学進学に際して、静岡から遠く広島に移り住んで、
そのまま10数年広島に居座ってしまいっている僕にとって、
高校時代の友達を中心として、また繋がれたのはものすごく嬉しくて。
そのおかげで10年ぶりに同窓会なんか開かれちゃって。
そこで改めて人間関係ができたりして。
未だに重宝してます。


現在は僕の独立開業に向けた時期ってこともあり、
活動情報の発信や、新たな関係づくりで大きな力を発揮してくれてます。
投稿に反応してくれる人が、友達以外にも広がってきたりして。
そこでわかったのです。


せっかく反応してくれたのだから、
見ず知らずの方でも、どんな方なのか知りたい!
と思って、その方のページを見ると・・・
「おい・・・何も投稿ないやん・・・」
「あら・・・ここ2年投稿がないのね・・・」


その方の事を知りたい。
知って繋がりたい。新たな関係をつくり、
何か一緒にできることがあればやってみたい!
そう思っているのに、そのための情報が無い方が結構いたりして。
ショボンとしたりしてる今日この頃なのです。


もったいなくないですかね?
それって機会の損失ですよね?
いやね、直接会って話すことの方が、価値があることくらいわかってるんですよ。
でもね、こういう便利なツールを有効活用しないというのはなんかもったいない。


SNS利用が普及した頃は、ブログや個人HPの延長みたいなもので、
自分の日常を投稿することが流行りましたね。
で、それに「いいね!」って反応するっていう、
お歳暮とか年賀状みたいな慣習ができました。


人から「いいね!」って思われるようなことがないと、
投稿できない、したくない、みたいな風潮。
「いいね!」自体がめんどくさいっていう風潮。
そういうことですよね?SNS疲れは。
そりゃね、ただの慣れ合いと自己顕示欲を満たすために使ってりゃ疲れるでしょうよ。
ネットの世界に存在承認を求めちゃったら、しんどくなるでしょうよ。
インターネットツールにまで、礼儀やら人間関係やら、
社会のしがらみをそのまま持ち込んでどうすんですか。


SNSができたことによって、
今や何を信じていいのかわからないマスコミが流す情報より、
ほんとに現場の情報の、少なくとも手がかりや、
そこにいる人の感情なんかを知ることが容易になったわけです。
遠く離れた土地に生きる人の姿を、
前よりは想像しやすくなったんです。


結局のところですね、個人的に思うのは、
ツール(道具)の使い方と、その効用をよく考えずに、
とりあえず使ってみちゃった、使ってみちゃってるからそうなるんですよ。


Facebookはもともとは出合い系アプリだったんだけど、
実はそれ以上に価値があると思ってます。
イベント情報、活動情報、ニュース、コラム、個人の考え、
個人のキャラクターの紹介、人柄の表現...etc.
タダでこんなにいろんなことを発信・受信できる。
写真や動画も共有できる。タダなのに。
挙句の果てに、相手に知られることなく、
あたかもネットストーカーのように、
気になる(自分が興味がある)人の投稿があったら、
通知してくれるように設定まで出来る。
なんて有難いんだ!
その有難さたるや、もはや仏の慈悲の心か!?


こういう長文はブログにする。
んで、SNSで拡散して、僕の考えをを周囲に広める。
逆に、僕にとって価値があったり、ご縁がある情報を、
SNSを通じて入手する。
僕はそんな風に活用してます。


一度、冷静になって、SNSの長所を見直してみたらどうですかね?
あと、自分の人間関係の作り方と、情報リテラシーに関して見直したらどうですかね?


せっかくなのに、もったいないですよ。
なにせタダなんだから。
もう一回いいますよ。
なにせタダなんですよo(゙ε゙)o