広島ブログ

オープンゲイなHaruの日常

広島でなんとなーくゆるくのほほんと暮らしてる、オープンなゲイの日常です。

ヤバい。母さんが生きてたよ。

僕の母は、厳しい人でした。
いじめられて泣いて帰ったら、情けないと叱る人でした。
自慢をしたり、人を見下したりすることを許さない人でした。

僕の母は、優しい人でした。
笑顔が素敵な、なにも押し付けず、人の道を教えてくれる。
和裁の職人、かっこよくて、優しい、母さんでした。


12歳になったばかりの4月。
僕の母は亡くなりました。

ガンでした。
腰が痛いと病院へ行って、精密検査。
その時にはすでに全身に転移していて、
もう手のほどこしようがなく。
ターミナルケアでなんとか2ヶ月ほど。
最後の方は、モルヒネでわけが分からなくなっていて。
目は常に半開き。口に出すことは、よくわからないこと。

今際の際、周囲の大人が、僕をベッドへ押して、
話をしろ、話をしろ、と言いました。
でもその頃の僕は、極度の恥ずかしがり屋で。
一言も発せずにいました。

最後の母さんの優しさは、
そんな僕を、手で「いいよ、いいよ」と。


その後、すぐに息を引き取りました。
でも心臓はそれから1時間、動き続けていました。

僕が思ったことを、思った時に、人に伝えるのは、この経験からです。
あの時、母さんに「ありがとう」でも「ごめんなさい」でも。
なんでも伝えればよかった。でももうそれは無理。

いつ、何かを伝えたいと思っている人が、
目の前からいなくなるかわからないことを、僕は知りました。
だからせめて、それからは、伝えられるときに、ちゃんと伝える。
それを心がけています。
一期一会の精神を、母が命をかけて教えてくれました。


子どもの頃に、身近な人の死を体験したことで、
人が死ぬことの意味を知りました。
僕にとっては大切な母さん。
だけど、世界はなにもなかったかのように回り続けます。
ただただ、ぽっかり存在が消えるんです。死ぬってことは。
そして、世界にはなんの変化も起きません。

人は何回も死にます。
1度目は肉体の死。
2度目以降は、人々の記憶の中からなくなる死。
少なくとも、僕たち家族の中では、まだ母さんは生きています。


そう思っていました。
それが…
f:id:sugiyama-haruhiko4:20160128075422p:plain

僕たち家族ではない人の中でも、20年間、
母さんは生きていました。
うれしくて、うれしくて。
とても温かい気持ちでいっぱいです。

俊くん、ありがとう!
俺、頑張るわ。

渡邉 俊 
https://www.facebook.com/shun.watanabe.716?fref=nf
僕の幼なじみです。
笑顔がくしゃくしゃ。子どもの頃と変わらず。
人を元気にできる人です。
心から人を応援する人です。
そんな素敵な男です。