広島ブログ

オープンゲイなHaruの日常

広島でなんとなーくゆるくのほほんと暮らしてる、オープンなゲイの日常です。

人生は挑戦の連続と知る。トマト編

8日から昨日まで、彼氏くんがお泊りに来てくれていたのです。
それはもう、毎日楽しかったですよ。

朝ごはんは僕が必ず作ります。
お片付けを彼氏くんがしてくれます。

ごはんの支度をしている姿をじっと見られていることは知っています。
が。みそ汁の味が崩れるのが嫌なので、知らんぷりを決め込みます。

僕の家に彼氏くんが来る前日に、朝ごはん4日分の常備菜を仕込みます。
今回は、大根の酢漬け、白ネギ・わかめのぬた、ほうれん草としめじのおひたし。
玄米のおかずになるように、少しだけ強めに味付けです。

3種盛った小皿がいい感じです。

あとは具がしっかり入ったお味噌汁。
あ、お味噌汁っておみおつけともいいますよね。
漢字で書くと「御御御付」ですよね。
ものすっごい高級感ですね。なんでだろ?後で調べよう。

彼氏くんがいないとまず挑戦しないな、と思ったので、
トマトをみそ汁に入れてみたのです。
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作り方はちょー簡単ですよ。
①ダシ汁を煮立てる。
②トマトはサラダに入れる感じでサク切りに。
③沸騰したダシにトマトをIn! into the dashijiru! dashijiru is ファンタスティック!
④再び煮立ったら火を弱火に。味噌を溶かす。
⑤火を強火にして、煮立つ寸前で火を消して完成!

普通の菜もの野菜を入れる感じでトマトを入れましょう。
躊躇してはいけません。
思い切りです。
トマトに「お行きなさいっ」とひと声かけましょう。

お味は?
「あ。これ美味いわ。ねぇ?」
「うん。酸味が爽やかでいいねぇ」


彼氏くんが帰った今日も、朝ごはんはトマトのみそ汁にしたのです。


爽やかな味のみそ汁をすすりながら、
「やっぱなんでも挑戦してみないとダメだわ」
と一人物思いにふけったのでした。


明日は、溶き卵も投入してみます。
美味しいことはわかりきってる。挑戦じゃないな、それは…
しかたがないよ。まだ2つトマトが残っているのだから。

酢豚問題。あらたな火種見つかる。

先日書いた酢豚問題。

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酢豚にパイナップルが入っていること容認派 VS 否認派。
この溝は埋まることはない…
酢豚が日本に入ってきてから、永遠につづく問題。
と思っていましたが、とある情報筋からこんな話が。

中国では、酢豚という料理が存在しないそうなんですよ。

「咕老肉」(グーラォロゥ) パイナップル入り。
「糖醋肉」(タンツーロゥ) パイナップル無し。

そう。別の料理として区別されている。

それを一緒くたにして、争う日本人。
勘違いが産んだ悲しい対立。
なんて愚かしいんだ… なんて僕は無知だったんだ…

こうして僕の中で酢豚問題は一定の解決を見ました。
世界から戦争がなくなる道が見つかりました。
酢豚は平和の象徴です。ありがとう、酢豚。


ところで。ポテトサラダ。
ポテトサラダにりんごが入っているものがありますな。

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これはどうですか?
酢豚にパイナップルと比べて、随分ハードルが低いですよ。
自分で作るときにりんごを入れようとは思わない。
けれど、りんごがはいったポテサラが出されたら、
そこはそこまで気にせずに食べてしまう。

これは、りんごの持つしれっと入り込むさり気なさ。
そのポテンシャルの為すところです。
すごいぞ、りんご。ビバりんご。
塩っけと、ほのかな甘味、優しい香りのマリアージュ


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あれ?みかんがポテサラに入ってるぞ。
給食で出てきたな。スーパーで売ってるな。

…おいおい… 困ったぞ…
…いきなりハードルが上がったぞ…

酢豚のパイナップルどころの話じゃない。
淡いポテサラに、どぎつい甘みの缶詰みかん。

さー困った。
すごい甘みのみかんが、どうしたってポテサラとなじまない。
甘さがすごく甘いみかんがなじまない。
口の中で、みかん、みかん、みかん。
噛めば噛むほどみかんの主張。

愛媛の陰謀か?和歌山の策謀か?静岡の計略か?

みかんの存在価値がわからない。
肉を柔らかくするとか、そんなことはない。
というかポテサラに肉がない。

あるとしたらハム。
ハムはもう変われない。柔らかくなったりはしない。
変化することを抑制された存在。それがハム。
ハムはハムになりたかったわけじゃない。
肉として一生を終えたかったのに…
紐で縛られ、熱を加えられ、煙にまみれて。
気がついたらハム。
そんなハムはみかんの影響を受けることができない。
ハムは影響を受けて、さらに進化したいと思っているのに。
それを人のエゴで進化できない身体にされた。
ハム… かわいそうなハム…
みかんのそばにいるだけのハム。

なぜそこにいるんだ?みかん。
なにが目的なんだ?みかん。

こうして、酢豚問題が解決をみた矢先、
ポテトサラダのみかん問題が僕の頭を支配しているのです。

ヤバい。母さんが生きてたよ。

僕の母は、厳しい人でした。
いじめられて泣いて帰ったら、情けないと叱る人でした。
自慢をしたり、人を見下したりすることを許さない人でした。

僕の母は、優しい人でした。
笑顔が素敵な、なにも押し付けず、人の道を教えてくれる。
和裁の職人、かっこよくて、優しい、母さんでした。


12歳になったばかりの4月。
僕の母は亡くなりました。

ガンでした。
腰が痛いと病院へ行って、精密検査。
その時にはすでに全身に転移していて、
もう手のほどこしようがなく。
ターミナルケアでなんとか2ヶ月ほど。
最後の方は、モルヒネでわけが分からなくなっていて。
目は常に半開き。口に出すことは、よくわからないこと。

今際の際、周囲の大人が、僕をベッドへ押して、
話をしろ、話をしろ、と言いました。
でもその頃の僕は、極度の恥ずかしがり屋で。
一言も発せずにいました。

最後の母さんの優しさは、
そんな僕を、手で「いいよ、いいよ」と。


その後、すぐに息を引き取りました。
でも心臓はそれから1時間、動き続けていました。

僕が思ったことを、思った時に、人に伝えるのは、この経験からです。
あの時、母さんに「ありがとう」でも「ごめんなさい」でも。
なんでも伝えればよかった。でももうそれは無理。

いつ、何かを伝えたいと思っている人が、
目の前からいなくなるかわからないことを、僕は知りました。
だからせめて、それからは、伝えられるときに、ちゃんと伝える。
それを心がけています。
一期一会の精神を、母が命をかけて教えてくれました。


子どもの頃に、身近な人の死を体験したことで、
人が死ぬことの意味を知りました。
僕にとっては大切な母さん。
だけど、世界はなにもなかったかのように回り続けます。
ただただ、ぽっかり存在が消えるんです。死ぬってことは。
そして、世界にはなんの変化も起きません。

人は何回も死にます。
1度目は肉体の死。
2度目以降は、人々の記憶の中からなくなる死。
少なくとも、僕たち家族の中では、まだ母さんは生きています。


そう思っていました。
それが…
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僕たち家族ではない人の中でも、20年間、
母さんは生きていました。
うれしくて、うれしくて。
とても温かい気持ちでいっぱいです。

俊くん、ありがとう!
俺、頑張るわ。

渡邉 俊 
https://www.facebook.com/shun.watanabe.716?fref=nf
僕の幼なじみです。
笑顔がくしゃくしゃ。子どもの頃と変わらず。
人を元気にできる人です。
心から人を応援する人です。
そんな素敵な男です。

珈琲探訪Vol.2 ロブスタ種を飲む。

初めてロブスタ種を飲みました。
インドネシア AP-1 ペーパードリップ

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日常、流通しているコーヒー豆は、2種類。
アラビカ種とロブスタ種(カネフォラ種)です。

アラビカ種は、レギュラーコーヒーに使われています。
病気に弱く、温度、降水量などにも敏感で、栽培が難しいそうです。
しかし、香り、味ともに優れた品種が多く、
ドリップしていれるレギュラーコーヒーは、
ほぼアラビカ種で作られています。

ロブスタ種は、インスタントコーヒーに使われます。
アラビカ種に比べて、病気に強く、気候もそこまで選びません。
また、単位面積あたりの収穫量も多いです。
しかし、味が悪く、香りも悪い。
そのため、インスタントコーヒーや、
安いレギュラーブレンドのかさ増しに使われています。

というわけで、普通、店頭で買える豆で、
1品種単体でロブスタ種を飲めることはそうないので、
とりあえず、飲んでみました。

【感想】
あ、すごい。なにこれ。コーヒーじゃないじゃん。
なんか懐かしい感じがする・・・
あぁ、おばあちゃんの入れてくれた雑穀茶だ。

そういう感じでした。
コーヒーと思って飲んだらまずいです。
でも、雑穀茶だと思って飲めば、まずくはないですよ。
そうなると、もうコーヒーじゃないけどね。

歩くカミングアウト 後編

前編をお読みくださいませ。
haruslife.hateblo.jp


カミングアウト、というか自己紹介で、
自分がセクマイであるかどうかを伝えるかどうかは、
人ぞれぞれ、自由です。
好きにしたらいいと思います。


僕個人の問題としては、
取り繕った自分を好きになられても、後々面倒なので、
素の自分で付き合えるように伝えるようにしています。


さて。差別や蔑視、仲間はずれにされる不安。
そういったものを抱えている人も多いですよね。
その不安が強いために、オープンにすることができない…


ちょっと質問ですが。
自分が同性愛者であることを知ったことで、
これまで優しかった、仲良かった態度を急変させる人。
そういう人と、今後も付き合っていきたいですか?
素の自分ではない、仮面を被った自分を好いてくれる人で、
周囲を固めたいですか?


その生活を今後死ぬまで続けたい!と前向きに肯定できるのなら、
そのままで行きましょう!それはそれですごいし、良い!

そうでないなら、人は選ぶべきだけど、信頼できる友達から、
本当のことを言ってみるのもいいと思いますよ。

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自分の境遇を、なんて不幸だ、なんで同性愛者に生まれたんだ、と嘆く。
どうして性別でなんでもくくろうとするの?
どうして社会は自分たちトランスの存在を認めてくれないの?と嘆く。

それも時には必要だし、こっちの仲間で肩寄せ合って、
傷を舐め合う時間があってもいいと思います。

でも、それだけじゃダメ。
自分を振り返ってみて、魅力的な人間になるための自分磨きしてますか?
この人と友達になりたい。仲良くなりたい。この人、好き。
そんなふうに、他者から思ってもらえる自分になるために、
なんかしてますか?


僕の個人的な感覚ですよ、あくまでも。
塞ぎこんでる人を魅力的には思わないですよ。
何か他者とは違う、キラリと光るものがない人に、
人は寄って行かないですよ。


そして、これが大切なんだけど。
そのことは、ノンケも一緒ですよ。
後ろ向きな人には、後ろ向きな人が寄ってくる。
前向きな人には、前向きな人が寄ってくる。
世の中、そういうもんですよ。


受け入れられない、話を聞いてもらえない、
理解してもらえない、仲間はずれにされる。

それは、あなたがそうしてるんです。
聞き入れてもらえるように、
話も、生き方も、態度も、表情も、工夫していない。
自分はなんにもやってないのに、相手には受容を求める。
そんな人の話を誰が聴くんですか?
誰がそんな人と友達になろうと思うんですか?
ノンケの世界もそうでしょ?

それを他人のせいにしてる人すらいる。
挙句は、そういう、本当に困っている人の弱みを利用して、
弱者利権を得ようと政治活動にまでしている、
お金儲けにしている人までいる。

このまま、間違ったセクマイ擁護、セクマイ挙げが続く限り、
日本に本当のダイバーシティブな社会は訪れないでしょう。

僕らは、特別な存在ではないのに、
特別だと思い込んでる当事者がこんなに多いんだから。


まずは、一人の人として、
魅力・活力あふれる人間になれるよう、
一人ひとりが生きること。
自分らしく生きるってのは、セクマイもノンケも、関係ない。
そうとう頑張らないと得られないことでしょ?


それ以外に、僕らの理想の社会を作る道はないと思っています。


親も家族も友達も。
自分の脚でしっかり立てば、必要な人が必要なときに、現れます。
自分の脚でしっかり立つ覚悟さえあれば、ですが。